『久保田』を産んだ長岡・朝日酒造 ファンとの絆を深め日本酒の新たなシーンをつくる

『久保田』『朝日山』などを醸す長岡の朝日酒造。伝統を守りながらの新しい挑戦に迫る。

朝日酒造

「朝日酒造」という名前を聞いてピンと来なくても、『久保田』という日本酒を知らない酒飲みは、かなり少ないだろう。

「千寿」「萬寿」など「寿」がつくサブネームでも知られ、新潟の淡麗辛口を代表する銘柄のひとつだ。

今回は、「『久保田』以前」「『久保田』の誕生と歩み」「未来へ向けた取り組み」の時系列を念頭に、広報課長の川嶋勉さんに話を聞いた。

 

■江戸時代後期に「久保田屋」として創業

長岡市朝日にある朝日酒蔵。その創業は200年近く前にさかのぼる。

川嶋:「久保田屋」という屋号で酒づくりを始めたのは、天保の改革でも知られる天保元年、1830年です。「天保の飢饉」という歴史をお聞き及びの方もいらっしゃるかもしれません。

 

当時は米が大変貴重だった時代で、酒米を集めるのも本当に苦労したと聞いております。しかし、「そんな状況にあっても、酒づくりを生業にして頑張っていくんだ」という先人たちの思いがあったのだと想像します。

 

今も主力銘柄のひとつである『朝日山』を発売したのは、明治時代でした。それまでは、「久保田屋の酒」と呼ばれておりましたが、蔵がある地名「朝日」からとり、日本酒らしい「山」を加えて名前にしたそうです。

 

その後、大正時代の1920年に株式会社として朝日酒造が創立された。

 

■4代目社長の決断と「東京X」

朝日酒造

『久保田』を始めとする朝日酒造の酒は、新潟清酒らしい淡麗辛口が特徴。しかしそれは、『久保田』が誕生してからの変化だという。

川嶋:『久保田』の発売は1985年なのですが、それまでは『朝日山』も濃醇な旨口の酒でした。その時代は力仕事も多く、そうした働き方に合った食事、さらにそれに合わせたお酒ということで、甘めのしっかり飲みごたえがある酒づくりを行っていました。

 

4代目の平澤亨が社長に就任した頃、新潟醸造試験場の元場長だった嶋悌司さんを工場長として招聘して、酒づくりをガラッと変えたんです。

 

ちょうど、世の中がブルーカラーからホワイトカラー中心に変わっていく時代で、働き方が変わり、食生活に合った淡麗な辛口を目指そうということになりました。

 

それまで新潟県内が主だった販路も「東京を目指そう!」ということで、社内的には「東京X」というコードネームで開発された酒が、『久保田』になります。

 

久保田屋から地域の名にちなんで朝日酒造に、そして大きな挑戦を担った酒は、創業時の屋号にちなんで『久保田』と名付けられた。

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■土地に根ざした酒こそが地酒

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